日記
🇮🇱
かなり前の続き
もう行くことはないであろう衝撃的イスラエル。出国のテルアビブ空港、日本人に厳しかった。
というのは、過去に日本赤軍の乱射事件があったから。税関トランク開けて全部広げて調べる時間2時間。主人は仕事の書類内容も細かく説明。個人旅だから仕方なかったのかも。
せっかくここまで来たのだから行ってみようと次の行き先はエジプト。乗ったシナイ航空は面白くてずっと笑ってた。和田アキ子にそっくりな巨大なスチュワーデス(当時の言い方)何かあったらの安心感はなくちゃね。機内食はチーズが一枚のみの硬いサンド。カイロに着いて乗り換えルクソール行き。ここからがもっと面白い...
韓国
子供の頃はまだ朝鮮って言ってたような
思い出せば家には韓国グッズや飾り物が沢山。行ったり来たりの友好関係があったような。
突然、希望ではなかったのに交換学生で行くことに。(当時はまだ向こうは自由に日本に入れない時代)
本当は、行くはずの弟が直前に拒否し、パスポートを持っていた私に急遽変更。
何の知識も無く行ってしまった。
開放的なカリフォルニアからの次は朝鮮へという極端さ。当時の韓国は驚きのことばかりで楽しいという記憶はほぼ無かったけど、でも体験は今は面白すぎになる話になっている。
昔の本当のことは分かりませんが、反日は全く無く、逆に日本に良くしてもらったという話をたくさん聞きました。
ホームステイ先のお母さんたちには、女の子が来るんだったらチョゴリ作って待ってたのにって。
南北事情、ご年配の方達から聞いたドラマにも無い残酷な恐ろしい話しを聞いたのは忘れられない。決して統一は無いと言っていました。
ベルサイユ
初めてのベルサイユはパリからの日帰り観光だったので宮殿の記憶しかなかったけど、2度目はベルサイユに数泊。恥ずかしながらベルサイユって宮殿のことだと思っていたら町自体がベルサイユ。宮殿がある敷地もとんでもなく広くて車移動。一泊目のホテルは夜着いたので分からなかったけど、次の朝出てみるとアメージング!目の前がベルサイユ宮殿。二泊目からは宮殿内森の中のホテル。窓から外を見たり散歩していると1770年代を想像...
パリ
パンデミックの前の年、展示会イベントでパリベルサイユへ。日本ブームには驚いた。
エレガントなホテルのレストランにはコーヒー紅茶と並んで一人一人用の南部鉄器と煎茶のセットがズラり。岩手産の南部鉄器がベルサイユにとは!岩手民の私は誇らしげ。(使わなかったけど)
パリ市内のショップ街には日本茶専門店も。店内にはお手前が出来る茶室がある。ドゴール空港に回転寿司!外国人でいっぱい。ピックリ!...
🇮🇱
アーチ作りの旧市街のバザールはエキゾチックで楽しい。イエスの眠るモスク、建物は修繕されたばかりでゴールドとモザイクアートがとても綺麗だった。何故か男性だけが肌を隠して入らなければならない。墓は間近で見れる。空間は霞がかかったような重い空気。マリア様の椅子は自由に座れたので私も座ってパチリ。
最近このモスクでも衝突がありましたよね。
宗教って争うためのものなのか争うために必要なのか。
壁で区切り、ここからとその角からそっちはダメ。何の意味があるのか平々凡々な私には理解不能で。
二度と行くことが出来ないであろう国。